埼玉県川口市の樹木葬型霊園「天空に近い墓友葬聖地苑」にお墓詣りに行かれたら、ぜひ近くにある赤山城址公園にも足を延ばしてみてください。森の中にあるお堀の跡をを散策すれば、自然の空気がいっぱい取り込めます。
■赤山城跡(あかやまじょうあと) 所在地 川口市大字赤山
伊奈氏は、家康の関東入国とともに鴻巣・小室領一万石を給され、熊蔵忠次以降12代にわたって関東郡代職にあり、関八州の幕領を管轄し、貢税、水利、新田開発等にあたった。三代忠治の時に、赤山領として幕府から七千石を賜り、寛永6年(1629年)に小室(現北足立郡伊奈町)から赤山の地に陣屋を移した。これが赤山城で、以来10代163年間伊奈氏が居城したものであるが、現在では、東側に堀と土塁を一部残すのみである。
城跡の南方に隣接する源長寺は、伊奈氏の菩提寺として、4代忠克以降の代々の墓があり、5代忠常建立の頌徳碑(しょうとくひ)には忠次、忠治の業績が刻まれている。
昭和58年3月 埼玉県
※参照:設置されている看板を書き起こしています。
■赤山日枝神社 御由緒 川口市赤山(あかやま)218
□御縁起(歴史)
寛永年間(1624-44年)に関東郡代の3代伊奈忠治(いなただはる)が構えた赤山陣屋は、寛政4年(1792年)、12代伊奈忠尊(ただたか)が失脚するまで、関八州の貢祖の徴収並びに司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行う中心的な役所であった。この陣屋は延べ面積23万4千坪にも及ぶ広大なもので、この中に当社をはじめ天神社・八幡社・御陣山稲荷社などが祀られていた。当社は、陣屋の東側空堀外の山王町廓(くるわ)の地内にある山王池に面した築山に鎮座する。この築山は、陣屋空堀掘削時の廃土で築いたと伝える。
創建は伊奈氏によるものと考えられ、恐らく江戸城鎮護の日枝神社から分社し、陣屋の守護として祀られたものであろう。「風土記稿」には陣屋廃止後の当社について、「200年来草創せし地と見ゆ、神体昔は7体ありしが、伊奈氏断絶の時失いたりと云、其頃は大橋多門或は川鍋左門など云し神主ありしが、今は領家村神明院の持となれり」とある。ちなみに、神明院は玉林院配下の本山派修験である。
なお、陣屋内にあった八幡社や天神社は現在合祀されて当社境内にある。殊に八幡社は、7代伊奈忠順(ただのぶ)が建立した宝永4年(1707年)11月の石祠銘文によると、5代伊奈忠常(ただつね)が寛文13年(1673年)7月に子孫繁栄のため創建し旨が記されている。
※参照:設置されている看板を書き起こしています。
□御祭神
・大山咋神(おおやまくいのかみ)
□御神徳
・産業発展 ・成長発展 ・商売繁盛 ・家内安全
・厄除け ・安産 ・縁結び
□御祭礼日
・歳旦祭(1月1日) ・夏祈祷(なつきとう)(5月15日)
・秋季例祭(お日待ち・10月14日)
※参照:設置されている看板を書き起こしています。